2007年 05月 10日
通夜島(つやしま)
奥に見える島は通夜島という小さな無人島です
串本大橋はそこよりさらに小さい苗我島にかかっています
大島の水門祭<みなとまつり:県無形民俗文化財>の由来にも通夜島の名があります
神巧皇后(気長足姫尊・オキナガタラシヒメノミコト)は、新羅遠征の後 幼い皇子(応神天皇・ホムダワケノミコト・ホムタノスメラミコト)を連れ 北九州から仲哀天皇の遺骸とともに都に向かおうとしました
ところが 仲哀天皇の2人の御子が 皇后と応神天皇を討とうと瀬戸内で待ち伏せをしていました
危険を察した武内宿禰(タケウチノスクネ)が 南海道に迂回するよう神巧皇后に進言します
それに応じた皇后一行は 行幸の途中 紀伊水門浦の通夜島(津夜島)に立ち寄られました
このとき 大島浦.串本浦.出雲浦からそれぞれ住民が迎えの船を出しましたが 一行は大島浦の船にお乗りになられました
水門祭の櫂伝馬<かいでんま>はここから生まれました これは口伝として伝わるのみで記録としては残っていません
また、水門祭りの行事は現在 苗我島で行われていますが それも上のお話からだと云われています
by umikongou
| 2007-05-10 22:22