2007年 03月 09日
レディ・ワシントン号に対する日米の認識の違い
日本の教科書等で日本とアメリカ合衆国の交流の最初は1853年のペリー提督が浦賀に黒船4隻でやってきたときとされているが、アメリカ人として日本に最初に渡航して貿易を申し込んだのは1791年のケンドリック氏で寄港地は串本町の紀伊大島となっている。彼が乗ったプライバティア(国代表としての資格)を有する商船「レディ・ワシントン号」の船名とともに大多数の歴史書にその名は刻まれている。アメリカ合衆国ではこれを重要な史実としてとらえられており、ワシントン州アバディーン市ではレディ・ワシントン号の再建造が行われ、ウエアハムにあるケンドリック氏の旧宅が「ケンドリック記念館」として保存・公開されている。
ケンドリック氏とレディワシントン号・グレイス号は最初の計画から交易と言う明確な目的を持って紀伊大島に寄航し、住民に警戒心を与えないために「漂着」と装ったことや毛皮の貿易を申し込んだことが書簡や公文書(「マサチューセッツ海事史」ほか)などから明らかになっている。アメリカ合衆国ではこの事実を認識した歴史になっているが、日本では「漂着」として文部省の教科書には載せていない。
フリー百科事典「ウィキペディア」(日米修交記念館)より
日米修交記念館は 樫野にあります。日本初の黒船来航の地です。日本の教科書(歴史)が認めなくても、アメリカでは初めて月に行ったのと同じように 初めて日本という国に上陸したという事実が大切なのだということがわかって嬉しくなりました。
by umikongou
| 2007-03-09 21:07