本州最南端の島から・・・


海金剛です   
by umikongou
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大島の歌

  浜千鳥声待ちわびん大島の
   波の間もなく誰を待つらん


これが文献に現れた、大島を詠んだ最も古い歌だそうです。
大正六年刊行の東牟婁郡誌(下)名所旧跡誌の項に掲載されています。
 大島の波間を飛び交う浜千鳥よ、誰を待ちわびて そのように 悲しげに鳴いているのか・・・

作者の宗祇は 室町時代中期の連歌師であり 古典学者でもありました。応永二十八年(1421)の生まれで、連歌を芸術の域にまで高めたとして有名です。
西行に憧れ、旅を愛して諸国を遍歴していますから 大島に来た可能性は充分あります。(江戸時代には生国は紀伊国有田郡藤並庄吉備野だという説もあったそうです。)

浜辺に佇む一人の僧、打ち寄せる波、波間を飛び交う千鳥の声。
想像するに 当時の大島は山の下がすぐ磯で 家も少なく寂しい情景だったのでしょう。
今、大島の空を飛び交っているのは カモメとシラサギ、アオサギ、トビ、イソヒヨドリ、カラス。
私はまだ浜千鳥を見ていません。砂浜が無くなって港ができたので居なくなったのでしょうか?飛ぶというより 砂浜をよちよちと千鳥足で歩くところを見たいな・・・と思います。
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by umikongou | 2007-04-10 23:32

紀伊大嶋

確か、串本町の図書館では貸し出しされていなかった
濱健吾先生「紀伊大嶋」という本を 
昨日、樫野のアラカルトで借りてきて、今日はずっと読んでいました。
今、大島の歴史を勉強しています。まだ消化していないので目次だけ 紹介しますね。

1 おゆきのいた港
2 米船本邦初寄航
3 樫野浦網代紛争
4 将軍蓮生寺ご休息
5 潮御崎会合のこと
6 樫野埼燈台
7 ノルマントン号事件
8 トルコ軍艦の遭難
9 水門祭考

大変興味深く読ませていただきました。
詳しく調べて書き残してくださったことに感謝いたします。
トルコ軍艦遭難については
『トルコ軍艦 エルトゥールル号の遭難』
串本高校歴史部の森修先生
そして「熊野灘」 を書かれた岡村嘉作先生
こうして書物として残してくださったお陰で 私たちは伝えていくことができます。
本当に、ありがとうございました。
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by umikongou | 2007-04-09 22:14

NATIONAL GEOGRAPHIC

連れ合いが定期購読している「ナショナルジオグラフィック」
2007年4月号の中に「トルコの沈没船、120年ぶりに引き揚げへ」
という記事が海底のカラー写真と共に掲載されていました。
ナショジオは 世界中に発信されているから とても嬉しかったのですが、
ただ一つだけ残念だと思いました。きっと記事を書いた方は 大島を知らなかったのでしょうね。他は串本でも構わないのですが、ここ!です。「ところが翌晩、台風に襲われ串本沖で座礁、500人もの犠牲者を出した。このとき69人の乗組員を懸命に救助し、母国へ生還させたのが串本の人たちだった。」
違うのです。座礁したのは「樫野沖」救助したのは「樫野」の人。これが真実です。OOSIMAISLANDを 私は世界に発信したいです。
確かにここは串本町ですが 歴史としては「串本」に非ず。
当時は東牟婁郡大島村でした。
どうしてそんなに拘るの?と言われるかもしれませんが、
いわゆる「identitiy」でしょうか。解っていただけるまで 私は発信し続けます。
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by umikongou | 2007-04-08 21:41

大島の雨

「城ヶ島の雨」を唄いながら島の坂道を下りて来ました。
亜熱帯の島の雨は 利休鼠ではなく 輝くばかりの若草色です。
桜の花が咲き始めてから 私は海より山を見ることが多くなりました。
島の道が高い所にあって 緑が多くて山の中という雰囲気だから、かも知れません。
色んな緑があって 桜の白やピンクと綺麗なハーモニーを奏でているようです。
それにしても「紀伊大島の雨」という唄を作ってほしかったです。
北原白秋はどんな詩を書いたでしょうね。
緑色がかった灰色の「利休鼠」の雨ではなく 若葉がキラキラ輝いている紀伊大島の雨。
大風が吹くと、情緒もなく吹き飛ばされそうになりますが 

今日の雨は 緑を洗うようにやさしく降っていました。
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by umikongou | 2007-04-07 23:53

結界

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橋を渡るとき、感じること。
串本から車で走ってきて、信号が青になって大島に向かって一直線に走り、くるりと回ってまた橋を渡って大島に入る・・・その時、すでに浄化された気分で、心が軽くなっているような気がします。緑の葉っぱに包まれて、島の風に吹かれていると、棘が刺さったような嫌な気持ちがどこかに行ってしまうのでしょう。
 
私は大島に住んでいるけれど 仕事は串本なので 毎朝夕橋を渡っています。
私にとって 橋は結界です。
殆ど 食べて眠るだけで 生活しているとはいえない状態ですが
「島はええよ~」
なにがええかって?島を包んでいる空気。風、海、空、島は多分楽園なのです。
結界で守られている最後の砦。もう少し歳をとったら 一日中、島にいたいと思っています。
いろんなことがあるけれど、沖縄の人のように「なんくるないさ~」と生きていけるといいですね。
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by umikongou | 2007-04-06 22:56

望郷の思い

ずっと地元に居る人には解らないかも知れませんが長い間故郷から遠い所に居ると 普段はそれほど思わなくても テレビを見ていて思いがけなく故郷の景色が映されたりしたら もうテレビに釘付けです。
思いがけなく、目にしたり耳にしたりすると 余計に懐かしさが増してたまらなくなるのでした。
それは 景色であったり、言葉、唄、味、感触、と五感に訴えられると 覿面でしたね。
私は 本を読んでいて 故郷を見つけるのが嬉しかったのです。(美術誌を見ていて 芦雪の虎が載っていたら本当に誇らしかった!これは余談ですが・・・)

5年前、26年ぶりに帰ってきました。
思いのほか故郷は寂れていました。これが現実と思いつつ体感温度の低さに驚いています。
それでも 忘れないで、覚えていてほしい、と思って発信し始めました。改めて 故郷を掘り起こしています。
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by umikongou | 2007-04-05 21:14

サニーアイランドホテル

30年程前、樫野の里利という所にサニーアイランドホテルがありました。
今、リゾート大島がある所です。
樫野の集落へ行く途中、脇道に入って1km位行くと 小さなホテルがあった、
と記憶しています。
泊まったこともなく、二度ほど行ったことがあるだけですが
(サニーアイランドホテルが出来て、無くなってからも、私は他所にいました。)
妙に懐かしいのは、中上健次がそのホテルに滞在して「紀伊物語」を書いたと、
聞いたからです。
「紀伊物語」は大島が舞台で始まり、古座、新宮と話が展開していきます。
この本も 他所に居る時に読みました。
読んでいるうちに、たった一行ですが主人公の従姉妹の言葉の中に
「ちょっとそこの○○やでブラウス見てくる」とあり、
実家と同じ所で同じ名前だったのでびっくりしたり、嬉しかったりでよく覚えているのです。
中上さんは意識して書かれた訳ではなく単なる偶然でしょうけど・・・光栄でした。
部屋から海が見える、そのホテルに泊まってみたかったです。
今は跡形もなくキャンプ場に姿を変え、ただプールが残っているそうです。  
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by umikongou | 2007-04-04 22:56

うみがめ丸漂流記

枯木灘の海を見ていたら、沖をたくさんの船が行くのが見えました。
この沖には 黒潮が流れています。たとえ漂流したとしても船は 
八丈島に流れていくそうです。
庄野英二さんの「うみがめ丸漂流記」のことを思い出しました。
串本の漁師の船が 台風のため流されて 八丈島まで行ったお話でした。
(挿絵 吉崎正巳 ポプラ社 1968年)

庄野英二さんは 串本に取材にいらして地元の人たちから話を聞いて
本を書かれました。その中から、私が読んだ本をご紹介します。

メルヘン諸島 角川書店 1971年(短編集)
 アラフラ海周辺の島のお話、中に バイオリンを作る
 串本出身の原さんのことが書いてありました。

木曜島 理論社 1972年
 18歳の時、京都三条河原町の本屋で見つけて、ぱらぱらめくっていたら
 串本弁がいっぱい  出てきてびっくりしました。
 庄野さんが 串本出身のダイバーの方の日記を基に書かれたそうです。
 その頃、安い文庫本か古本しか買えなかった私が 
 新刊の単行本のこの本を買って読みました。

庄野英二作品一覧を見たら 数え切れないくらいたくさんあります。
まだ他にも 串本(木曜島)のことを書いた本が あるかもしれません。
漂流記もたくさんあります。
宝探しみたいだな~と 一覧表を眺めています。
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by umikongou | 2007-04-03 22:48

ナマコの眼(まなこ)

これは 1994年に亡くなった鶴見良行先生が書かれた本のタイトルです。
私がこの本に出会ったのは17年前。
岩国の図書館でした。かなり分厚く、難しそうな本でしたが開いてみたら、
懐かしい地名がいっぱい書いてあったのです。
 
ナマコ、この奇妙で魅力的な生物の視座から、
アジアと日本の歴史を眺めて見ると何が見えてくるのか?
タイトルどおり、まさに「ナマコの眼」を通じて明治時代以降の
日本人とオーストラリア人の関係が書かれています。
木曜島に代表されるオーストラリアの日本人ダイバーは白蝶貝の採取だけでなく 
ナマコ漁に係わる人が多くいたそうです。
木曜島といえば、串本町です。
鶴見先生は 20年間ナマコと人間の関わりを迫ってきたそうです。
こんなにたくさん歩いて調べて下さって ありがとうございます、
とお礼を言いたかったです。税込み4068円、
私には高価な本でしたので 6年掛かりで手に入れました。
今はまだ、一年前の引越しの箱の中で眠っていますが、
探し出してもう一度読んでみようと思います。

ここ大島には オーストラリアでダイバーをしていた方が大勢いらっしゃいます。
歴史的には「樫野埼灯台の建設に来た英国技師が 土地の青年を連れて行った」
という話が伝わっているそうです。

樫野は アメリカ、スコットランド、トルコ、そしてオースト
ラリアとも昔から関係があるのです。なんて国際的なんでしょう、ね!
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by umikongou | 2007-04-02 23:49

日米修交記念館

日米修交の歴史は、1853年アメリカのペリーの黒船の浦賀入港がその始まりとされていますが、それよりさかのぼること62年前、1791年(寛政3年)4月に2隻のアメリカ商船が日本に寄港、貿易を申し込んだという史実がアメリカの文献により明らかにされ、その日米初の接触の舞台が串本町大島の「樫野」でした。アメリカと日本との最初の出会いは 樫野の「前の浜」なのです。e0110600_22334887.jpg
日米修交記念館は 1975年に建設されました。
32年後の今日、初めて中に入りました。ずっと気になっていた
建物の傾きの意味はわからないままですが、階段をぐるりと上っていくと 屋上は展望台になっていました。



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残念ながら曇り空で水平線もはっきり見えませんでしたが、面白い岩を見つけました。
昨日、古座川で見たカジカガエルが石になった!のかと思いましたよ。
蛙石です。
根無し岩と言われている臼島も見えました。ここで360度の景色が見えるのは 思いがけなく嬉しいことでした。
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by umikongou | 2007-04-01 22:32