本州最南端の島から・・・


海金剛です   
by umikongou

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島の鳥

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毎日見る鳥は トビ、カモメ、アオサギ、イソヒヨドリ、カラス、スズメ、トビ、白いサギ、ハト。
時々見かけるのは、メジロ、ツグミ、セキレイ、キセキレイ。
声だけ聴くのは ウグイス、ホトトギス。
その季節に出会う鳥は ツバメ、モズ、ホオジロ。

まだまだたくさんいるけれど 確認できたのは これだけ。
ルリビタキ、ジョウビタキ、トラツグミ、シロハラ、オオルリ、ヤマガラ、に会える日を楽しみにしています。
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by umikongou | 2007-03-11 23:12

樫野の唄

色んな仕事唄があります。

○米つき唄
ここの米つきゃヨーオー
ヨイナー ドッコイショ
みんなめんどりじゃヨー
唄を知らぬか 歌わぬか

○もみすり唄
こんどくるときゃーよう
もてきておくれ
有田みかんのすずなりを

○田の草取り唄
一人とるかよ 五反田の草を
心なごう取れ なぎの草

仕事をしながら歌っていたのでしょうね。
今は田もなく、米をついたり もみをすることもなく 
島のあちこちで歌われていた唄も聴こえなくなったのでしょう。
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by umikongou | 2007-03-10 22:02

レディ・ワシントン号に対する日米の認識の違い

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日本の教科書等で日本とアメリカ合衆国の交流の最初は1853年のペリー提督が浦賀に黒船4隻でやってきたときとされているが、アメリカ人として日本に最初に渡航して貿易を申し込んだのは1791年のケンドリック氏で寄港地は串本町の紀伊大島となっている。彼が乗ったプライバティア(国代表としての資格)を有する商船「レディ・ワシントン号」の船名とともに大多数の歴史書にその名は刻まれている。アメリカ合衆国ではこれを重要な史実としてとらえられており、ワシントン州アバディーン市ではレディ・ワシントン号の再建造が行われ、ウエアハムにあるケンドリック氏の旧宅が「ケンドリック記念館」として保存・公開されている。

ケンドリック氏とレディワシントン号・グレイス号は最初の計画から交易と言う明確な目的を持って紀伊大島に寄航し、住民に警戒心を与えないために「漂着」と装ったことや毛皮の貿易を申し込んだことが書簡や公文書(「マサチューセッツ海事史」ほか)などから明らかになっている。アメリカ合衆国ではこの事実を認識した歴史になっているが、日本では「漂着」として文部省の教科書には載せていない。

フリー百科事典「ウィキペディア」(日米修交記念館)より

日米修交記念館は 樫野にあります。日本初の黒船来航の地です。日本の教科書(歴史)が認めなくても、アメリカでは初めて月に行ったのと同じように 初めて日本という国に上陸したという事実が大切なのだということがわかって嬉しくなりました。
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by umikongou | 2007-03-09 21:07

樫野の水

今では蛇口をひねったら 水が出るという便利な生活になりました。
昔は井戸、あるいは山の湧き水を使っていました。
小さな川も流れていたと聞いています。
田んぼで 米を作っていたのです。今は草が被い茂り見る影もありません。
埋め立ててしまった所もあります。

田んぼがあった頃は 水が豊富にあったそうです。
その水は どこへ行ってしまったのでしょう?
大島の水が涸れても 樫野の水は涸れなかったのです。

橋ができて、大きな道が通って、便利になりましたが 
景色も生態も変わってきたのだと思います。

豊かにあった水の行方を 今、私は捜しています。
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by umikongou | 2007-03-08 21:11

希望をうえて幸福をそだてた男

帰りの電車の中で読んだ本の中にも「樫の木」がありました。
ジャン・ジオノの「木を植えた人」がよく知られていると思いますが、須賀敦子訳です。どんぐりを植えたのです。小さなどんぐりがたくましく成長すると、樫の木になります。どんぐりのなる木は 森を作り、水を蓄えます。鳥が飛んできて、豊かに循環して行きます。私は「樫」という字が付いた地名が とても好きです。そういえば、「となりのトトロ」でも どんぐりを植えていましたね。わたしはあのシーンも幻想的で楽しくて好きでした。
どんぐりも樫の木も「希望をうえて幸福をそだてる」という豊かな気持ちを与えてくれますね。
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by umikongou | 2007-03-07 22:22

ココ・マッカリーナの机

電車の中で 文庫を一冊読みました。
日本文化を紹介する教育実習生としてアメリカ、ワシントン州のブレマートンに赴任した中島京子さんのお話です。
ココは京子、マッカリーナは中島、日本語をうまく発音できない
小さな子どもたちがつけたニックネームがタイトルです。
その京子さんが一番最初の授業で 子どもたちに話したことが
ペリーの黒船のことでした。とても面白い授業で、日本のサムライが黒船にニンジャを忍び込ませたけれども 英語がわからなくて役に立たなかったらしいのです。
それから、セイラーマンがとても大きいことに驚いたサムライたちは アメリカの巨人たちに日本の巨人を見せてやることにしたそうです。「日本の巨人」とは、もちろん「相撲」です。
ここ樫野には ぺリーの黒船より早くアメリカの船が来ました。
そのころ、田子ノ浦部屋の西川君がいたら見せてあげたかったなー。

<PS>
西川君は 須江の出身です
今場所より 碧海(あおいうみ)という四股名で相撲をとります
密かに 四股名は海金剛が良いなぁと 思っていたのですが・・・碧海 良い四股名です

 皆さん 応援宜しくお願いします
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by umikongou | 2007-03-06 22:16

大きな樫の木

地名の起こりは やはり大きな樫の木があったからだと、
「紀伊続風土記」の中の「樫野浦」の項に書いてあるそうです。
「土地の字に大樫野という所があり、
昔は大樫があったのでこの名を付したが、
今はその大を略して村名としている。」
大きな樫の木は どこにあったのでしょうね。
昭和初期の小学校の記念写真に写っている大きな木が 

それでしょうか?

大きな樫の木に思いを馳せます。
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by umikongou | 2007-03-05 22:53

樫野は春です

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暖冬でしたから どちらも春が早いとは思いますが
樫野は すっかり春でした。
白い大島桜はまだですが 淡いpinkの桜は咲いていました。

風が心地良いのです。
ごめんなさい。花粉症の人には辛い季節でしたね。

途中でカードがいっぱいになってしまって桜は写せませんでしたが、
今日の樫野の写真です。
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by umikongou | 2007-03-04 23:29

田山 花袋の紀行文

明治の自然主義作家として著名な田山花袋の紀行文の中に
樫野崎に触れたものがあり、「大島村史」(大正6年編)に
収録されているそうです。
花袋は樫野に上陸していませんが、船で勝浦の方から串本へと
向かう時、友人から聞いた話を思い出して書いたそうです。

 船員の語るところによれば「樫野崎の一角・・・、これは
 紀州沿岸百余里の悪難をこれ一つで代表するといってもよい
 くらいの難所で、どんな熟練な船長でも、どんな堅牢な戦艦
 でも、ひとつ間違うとたちまち難航ーそれというのは、この
 一角の海中に突出していること尋常一般ではないことから、
 大洋の風を受くること極めて烈しく、加えて暗礁がほとんど
 海底に満ちているので、それでとに角難破の災に遭うのであ  
 る。だから、紀州の悪難百里といっても、実を記せばその
 樫野崎の一角に集まるのである。」

そして、明治23年9月のトルコ軍艦エルトグロール号の
座礁沈没の話が続いていくのですが、長くなりますので
この辺で。
エルトゥルル号と呼ばれるようになったのは最近のことで
以前は エルトグルルと言っていました。
花袋は「エルトグロール」と書いていました。

花袋に語った人は、実際樫野崎灯台の灯台守であったらしく、
明治の頃の樫野崎の寂しさが、実感をこめて迫ってくる文章
です。これが 何に掲載されたものであるか、註釈がないので
わからないのが残念です。
 
尚、この文章は「樫野小学校創立百周年記念誌 かしの」を
参考にさせていただきました。
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by umikongou | 2007-03-03 21:35

樫野の言い伝え~宵節句

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むかし樫野では
「宵節句に前の浜に行くな 天狗にさらわれる」と、いう言い伝えがあったそうです
母が子供の頃 おばあちゃんに聞いたと言います

天狗が出る
それはきっと 寛政3年(1791年)3月に来航した
アメリカのレディワシントン号の乗組員の事だったのではないでしょうか?
    
    アメリカ人=背が高く 鼻が高い=天狗

前の浜は 雷公神社の下の浜のことです(写真)
樫野を調べると 本当にいろんなことがあります
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by umikongou | 2007-03-02 20:35