本州最南端の島から・・・


海金剛です   
by umikongou

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魚見台

e0110600_21121795.jpg樫野埼灯台の手前のトルコ人のお店と、
慰霊碑の近くの林の中に入ったら 階段があります。
今は展望台のようですが 以前は網代漁の司令塔でした。
網代漁とは、魚見台下の海域で網代船により受け網を張り魚見台からの指令により網に入った魚を捕獲する漁です。

今はその漁もなく、二階建ての魚見台もありません。
展望台からは 向かいは古座の海岸線が続き、田原の
荒船まで見えます。あの高い山は那智の妙法でしょうか。
しばらく海と空、向かいの景色を眺めていました。
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by umikongou | 2007-03-21 21:13

この木なんの木

e0110600_21343279.jpgアコウの木
亜熱帯の常緑植物でガジュマルと同じクワ科イチジク属
暖地の海岸に自生する常緑高木で 日本では高知や鹿児島など
黒潮に面した地に多く 紀伊水道沿いがアコウの北限と言われている。枝を大きく広げるので防風林に利用されるらしい。
木全体に花のう(実)をつける。

この木は 樫野埼灯台園地にあり 海に向かって大きく枝を
張り出している。大きな木である。
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by umikongou | 2007-03-20 21:34

桜咲く

白いオオシマ桜が咲き始めました。
e0110600_23534988.jpgこれから島は 白い桜でいっぱいになります。
ちらほらと薄紅色の桜も見えますが やはり
全体に白くて、葉も綺麗な緑色の、オオシマ桜が
美しいと 私は思います。
凛と立つ少年のような木です。
今、希望口というバス停の上で 桜は花開いて
います。 
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by umikongou | 2007-03-19 23:38

黄色の西洋スイセン見ごろ

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<黄色の西洋スイセン見ごろ>

という地方新聞の見出しを見て、今日 樫野埼灯台園地へ
行ってきました。春の彩りとはどんなだろうと思いましたが
残念ながら ちょぼちょぼと咲いているのでした。
勿論 綺麗です。花にケチをつける訳ではありません。
新聞には 「日本最古の石造り灯台(1870年発点灯)を
手がけた英国人技師が、種類は違うが、故郷をしのんで植栽
したのが始まりともいわれ、地区住民が育ててきた。」と
書いてあるけど やはり過去形だなと寂しく感じた次第です。
多分 今や地区住民の手の届かない場所であり、スイセン
なのでしょう。12万本と数は多いようですが、私には 
野生の力強さが伝わってこないのです。
花が終われば 刈り取られてしまって 球根が太らないので
しょうか。葉っぱが光合成されないのでしょうか。
植物に詳しくないのに 勝手なことを言っていますが、あの岬
には 群生して力強く咲く野性的な匂いの強い水仙が似合うと
思います。かつてそうして咲いていたのでしょう。
今はきっと 中途半端に管理されすぎて ひ弱に育った子ども
たちのように見えてしまうのだな~と思ってしまいました。
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by umikongou | 2007-03-18 20:21

無人販売

樫野方面にドライブすると道端に小さな小屋あちらこちらにあります
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今は金柑が売られていますが これからは
春光柑 こうきつ 
ニューサマー(ニューサンマ)・・・

と、色々な蜜柑が売られます どれも 美味しい珍しい蜜柑です

            ぜひ 一度お試しあれ
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by umikongou | 2007-03-17 20:43

船に乗る事

「ここは串本 向かいは大島 中をとりもつ巡航船」と
串本節に唄われている巡航船
かつて この島には三隻の巡航船があった
串本と大島 串本と須江 そして串本と樫野の中をとりもつ巡航船
e0110600_22213999.jpgそして、1972年にフェリーが就航 
しばらくして、樫野の巡航船がなくなった

平成11年に橋が架かって
巡航船も フェリーも 無くなった。

今では 船に乗ることがない。
確かに 便利になったのだと思う。
車に乗る人にとっては・・・
病院に行くにも いいのかもしれない。
けれども 目の前に海があるのに 船に乗ることがないと
いうのは 何か大切なものをなくしてしまったような寂しさを感じる。
子どもの頃、巡航船で大島に渡る時 海から見る景色(自分の
住む町がどんどん離れていく)が 好きだった。遠くから見るのは 今でも好きだ。
船に乗りたい と思った。
海の上から 紀伊半島の山や陸地を見たい。
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by umikongou | 2007-03-16 22:27

ごんぱち

タデ科イタドリと言われても 私たちにはわからない。e0110600_22361075.jpg
何てったって「ごんぱち」なのだ。
直径1~3cmの太さで 竹のように節があって そのまま
食べると すごくすっぱい。それで「スカンポ」とも呼ばれているらしい。
4月中旬 桜が散りだす頃 新芽が出ると書いてあるけどこの辺ではもっと早いのかな?
 
樫野の雷公神社の下に たくさん生えていた。何年か前
採りに行ったことがある。
その時、ゴ~ゴ~と激しく唸るような音を聴いてびっくり
したのだ。海鳴りの音だった。前の浜が鳴いていた。
その音を聴きながら ごんぱちを摘んだ。

樫野出身の連れ合いに聞いたら「ごんぱちは生でかじる」と言ったけど、串本出身の私は 煮て食べた。
さあ 今年もごんぱちを採りに行こう!
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by umikongou | 2007-03-15 22:29

紀伊大島

e0110600_2256095.jpg樫野ブログを書き始めて 住んでいながら 大島のことをよく知らないので 勉強をはじめました。テキストは「紀伊大島 フィールド・ガイド」-自然編ー 2003年版 です。
これは京都大学フィールド科学教育研究センター 里域生態系部門 紀伊大島実験所の 梅本信也先生が代表の黒潮文化研究会が出版されたものです。
紀伊大島の地質から 植物、キノコ、昆虫、鳥類、樫野魚付林の歴史と保全、そして魚類や植物の方言についても書いてあります。
興味深くて ずっと持ち歩いて読んでいます。
勉強会や フィールドワークができたらいいのに、と思います。
今、私が知りたいことは 魚付林のこと、それから 須江の膳棚などの岩の成り立ちについて。
ぼちぼち学んでいきたいです。教室を離れて 30年以上の歳月が経っているので なかなか頭に入りません。
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by umikongou | 2007-03-14 22:57

Remember KASHINO

彼等がしたことを 誰も忘れはしない。

100年経っても 語り継がれる。

けれども いつしか 「樫野」という地名は
忘れ去られていった。

私たちは 見返りを求めている訳ではない。

ただ声を大きくして言いたいことがある。

Remember KASHINO

「樫野」を忘れないで
いつまでも 覚えていてほしい

他のどこでもない この樫野の地に
尊い命(魂)は 眠っているのだから

Remember KASHINO

日本の和歌山県串本町紀伊大島の「樫野」です。
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by umikongou | 2007-03-13 20:47

「東の太陽 西の月星」を見て思ったこと

3月10日放送のビデオを見ました。
e0110600_2237446.jpgやはり「樫野」は「樫野崎灯台」としか 
言ってもらえませんでした。
撮影場所は しっかり「樫野」でしたけどね。
私が感動したのは トルコ航空の機長をはじめ乗組員の方々が 身の危険を顧みず 日本人を助けに来て下さったことです。
maidoさんが 書いてくださったことが
よくわかりました。
そのトルコの人たちの恩返しの元になるものが 樫野の人たちがエルトゥールル号の乗組員を助けたことでした。
島の漁師の人たちが 遭難した人を助けるのは あたりまえのことだ。自分たちは見捨てたりはしない。と言った事。そして同じことを トルコ航空の当時日本人を救出した三人の機長さんたちが言っていました。
今、トルコと日本の関係は 国と国レベルになっているようですが、正直なところ、肝腎な時に自国民を見捨てるような国が、他の国の人が困っている時 助けられるだろうか、と思ってしまいました。
私は やはり確信しました。エルトゥールル号のことは 島の人たちだから出来たこと。樫野の人たちだったから 自分たちの食べるものもみんな差し出すことが出来たのだ、と。
そして、国と国の関係も大切でしょうが、人と人として 繋がっていきたいと思いました。
この度初めて エルトゥールル号の乗組員の遺族の方を テレビで拝見することができて嬉しかったです。その方は一等航海士の曾孫ということでしたが、ここだけの話、私も救助の医師の曾孫です。だから「樫野」にこだわってしまう訳ですが、トルコの遺族の人たちと 樫野の地元の人たちが直接交流できたらいいのにと切に思うのです。それが「私たちの望むこと」です。 
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by umikongou | 2007-03-12 22:28