本州最南端の島から・・・


海金剛です   
by umikongou

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熊野灘

串本高校教諭をしていらっしゃった岡村嘉作先生が書かれた
「熊野灘」は 紀伊半島周辺を巡る幕末から明治にかけての
歴史ドラマが描かれています。
岡村先生は40年程前から教職のかたわら樫野埼灯台を核とした
地方史の掘り起こしをされてきました。
この本は これまでの研究をもとにフィクションをまじえて書かれました。

第一章「寛政三年の紅毛船漂着」
第二章「明治三年のイギリス人による樫野埼灯台建設」
第三章「明治十三年のドイツ軍艦による『橋杭事件』」
第四章『明治十九年の英船ノルマントン号座礁沈没事件」
第五章「明治二十三年のトルコ軍艦座礁沈没事件」
武蔵野書房から出版されています。

樫野出身の連れ合いと樫野を歩くと、「ここがあの小説に書いてあった道だよ。」
と教えてくれます。今は大きな道が出来て景色が変わってしまった様子ですが、
この場所で歴史に残ることが こんなにもたくさん起ったのだと認識できます。
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by umikongou | 2007-03-31 23:58

岸田衿子さんの本

1985年頃、山口県徳山市(現在は周南市)の図書館で見つけて読んだ本の中に 紀伊大島のことが書いてあったことを今でも覚えているのに 肝心の本の名前をすっかり忘れてしまって出てこないのです。
作者は 岸田衿子さん。それだけは はっきり覚えているのですが・・・
「太陽が海から昇って海に沈む島がある」と聞いて紀伊大島に来られたそうです。その時のことが書いてあるので ずっと探しているのですが どなたかご存知ありませんか?
かなり分厚いエッセイ集のようでした。
 実は もう一冊、探している本があります。
田島征三さんのエッセイですが 征三さんが 東京の病院に入していた時、夜になると どこからか「串本節」が聴こえてきたそうです。誰が唄っているのだろうと思って 声のする部屋を尋ねたら、おばあさんが 望郷の思いで毎晩唄っていた・・と書いてありました。この本も タイトルを度忘れして 探せないのです。ご存知の方、お知らせください。お願いします。
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by umikongou | 2007-03-30 23:47

別れ~旅立ちの季節

大島には航空自衛隊串本分屯基地があります
基地には官舎があり 子供達は大島の学校で島の子供と共に学んでいます

この季節はやはり 転勤転居の移動が多いようです
くしもと大橋開通以前は 引越しは全てフェリーで行われました
せっかく仲良くなれた友と別れるのは寂しいものです
引越しの日は 大島港の桟橋に見送りの仲間が集まり別れを惜しみます
旅立ちの友を乗せたフェリーは汽笛を鳴らし e0110600_22532390.jpg
『蛍の光』が流れる中出航していきます
なんとも哀愁の漂う旅立ちでした

今は橋が架かり 旅立ちは人知れず行われているようです

島に生きて 不便だった半面 島の生活の良さが懐かしく思い出されます
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by umikongou | 2007-03-29 22:42

崖っぷち

樫野には 前の浜とアノキの浜がありますが
灯台付近は 断崖絶壁です。
海金剛も断崖の下にあります。(アノキの浜に下りると目の前に見えます。)
断崖というのは切り立った崖だということを実感します。
この崖を トルコの人たちはよじ登ったのです。
崖の上から下を覗いたら ぞっとするような高さです。
樫野埼灯台のある岬からは、ぐるりと水平線が見えます。
真っ直ぐ進むとその先は アメリカです。

崖っぷちから 地球の広さを思います。
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by umikongou | 2007-03-28 22:46

サバサンドの行方

25日にサバサンドのことを書きましたが、検索をしていたら
「2005.10.1 只今サバサンドの販売は中止されています」と
いう記事を見つけ、どうしたことかと思っていました。
それからも検索を続け、やっと事情が解りました。
2005年10月イスタンブールではEminonu地区で屋台や露天商を
排除する動きがあったそうです。詳しいことはわかりませんが
小船に乗ってサバサンドを売りに来るおじさんは、どこかに
行ってしまって、サバサンドはレストランのようなお店でしか
食べられなくなったようです。
やっぱり、サバサンドは海辺の風に吹かれながら食べる方が
美味しいような気がします。
イスタンブールに行ったことはありませんが そういう露天の
お店があって、お客さんとやりとりしている風景が見られない
のは なんとなく寂しいのではないかと
 飛んでイスタンブールへ行きたい気分です。(古いな~・・・)
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by umikongou | 2007-03-27 21:57

オオシマザクラ花盛り

今、大島を車で走ると 毎日お花見です。
e0110600_2292340.jpgほとんどが白いオオシマザクラですが、
気持ちよく綺麗です。
島の桜は 緑の若葉の中で 
爽やかに健やかに咲いています。
私は 岩国錦帯橋のすぐそばに居たことがありますが
錦川の河原の桜並木は素晴らしく美しかったです。
だから桜といえば あの桜色が桜の色だと思っていました。
山桜の美しさ、島の桜の美しさは 人の手によって作られた美しさとは全く違うものでした。
島のあちこちで 私はここにいるよ~ と手を振ってくれているような気がして ここしばらくは毎日、白い桜に挨拶をしています。時に車を止めて、桜の木の下に立って見ます。
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by umikongou | 2007-03-26 22:12

サバサンド

今、鯖を焼いています。
トルコ イスタンブールの名物だという「サバサンド」を
作ってみよう!と思ったのです。
トルコでは地中海のサバですが、串本産の鯖の切り身を二枚
焼いて、もう二枚をから揚げにしてみました。
フランスパンにサバを挟んで、スライスした玉葱とトマトを
入れて、塩を少しかけて レモンをたっぷりしぼってかけて
食べます。とてもシンプルなトルコのファーストフードです。
イスタンブールでは 小船でどこからかやって来たおじさんが
船着場付近に接岸して 船の上からお客さんに売るそうです。
さて お味はいかがなものでしょうか?

串本高校のHPで作り方を見つけましたので勝手にリンクさせていただきました

サバサンド ↓
http://www.kushimoto-h.wakayama-c.ed.jp/turkey/data/sabasand/art.htm
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by umikongou | 2007-03-25 23:01

大潮 中潮 小潮

私の家の「歳時記カレンダー」は とても優れもので 月の満ち欠けから 旧暦、二十四節気、七十二候、時の俳句や和歌 その月の色んなことを教えてくれる。
今まで 意識したことのなかった大潮、中潮、小潮まで書いてあるので 
時々港の潮を見るようになった。e0110600_2114399.jpg
大潮の時は確かに潮が大きくなるのが解った
中潮、小潮も何となく解るけど、
長潮、若潮って何だ?

調べました!
潮の満ち引きの大きさなどの状態を表現する言葉で、月の運動が潮の干満に大きく影響しているらしい。
「月」を基準として作られた旧暦と、新月や満月などの月の形から 大潮、中潮、小潮、長潮、若潮の区分けをする。
大潮4日、中潮4日、小潮3日、長潮1日、若潮1日、中潮2日の15日周期になっている。
長潮は 上弦、下弦を1~2日過ぎた頃、干満差が一段と小さくなり、満潮干潮の変化がゆるやかでだらだらと長く続くように見える小潮末期(旧暦の10日と25日)のこと。
若潮は 長潮から潮が再び大きくなる状態を「潮が若返る」と言う。
この15日周期が 新月から上弦、満月。満月から下弦、新月。と繰り替えされる。
なーんだ、こんなことも知らなかったの?って言われそうだけど歳時記カレンダーを眺めながら 日々勉強しています。
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by umikongou | 2007-03-24 21:12

            海             作詞 林柳波  作曲 井上武士
    海は広いな大きいな 月が昇るし日が沈む
    海は大波青い波 ゆれてどこまでつづくやら
    海にお舟を浮かばせて 行ってみたいなよその国
                     


          我は海の子        作詞 宮原晃一郎  作曲 不詳
    我は海の子白波の さわぐいそべの松原に
      煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ
    生まれて潮にゆあみして 浪を子守の歌と聞き
      千里寄せくる海の気を 吸いてわらべとなりにけり
                      


今は橋が架けられて地続きになったものの、8年前までは紛れもなく離島であった。
この島で生まれ、18年間過ごした。それはまさに歌の風景、そのままの世界だった。

潮騒を子守唄として聞き、毎日丸く見える水平線を眺めていた。その海は遊び場であり
生活の場であった。海の精気は体の隅々まで、溢れ出るほど行き渡っている筈だ。
なんという幸せな体験だったかと思う。

再びこの島に暮らすようになって、もうすぐ1年になる。腰を落ち着けたのは島の中でも
生まれ育った地域とは反対側に位置するせいか、どことなく落ち着いたはずの腰がフワ
フワと浮いている感じがしていたものの、ようやく慣れてきたみたいだ。

周囲が約27kmにすぎない、小さな島であっても言葉や習慣の違いがあり、面白い。
知らないことがいっぱいあるこの島の宝探しを、ぼちぼち始める時期が来たのか。
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by umikongou | 2007-03-23 19:49

ヘダ号のこと

今日まで知らなかったこと。たまたま通り掛りにテレビの画面が目に入りました。伊豆半島旧戸田村とロシアとの友好の歴史です。1854年12月23日、プチャーチンが乗ってきた木造線軍艦ディアナ号(586名乗り組み)は、下田で安政の大地震に遭い津波で大破した。修理の為西伊豆の戸田港に曳航中に、富士川河口の宮嶋村(現在の富士市田子の浦)沖まで流され浸水が激しく沈没寸前の危機になった。村民は総出で荷物の陸揚げを応援した。さらに100隻もの手こぎ漁船で艦を戸田に曳航する途中、天候の急変でディアナ号は駿河湾に沈没した。プチャーチンは、幕府に新艦建造の希望を出して、戸田で建造することが許された。
建造には戸田の船大工棟梁ら7人が参加し、小型帆船が完成した。
プチャーチンは、感謝の意を表して船を「ヘダ号」と命名した。
船大工たちは期せずして洋式帆船の建造技術を会得し、戸田は近代造船術発祥後となった。
宮嶋村や戸田村の人々の暖かい献身的な協力は、日露友好の大きな絆となった。ということです。
私が感心したのは、民間交流だったことです。人と人との繋がりが確かにあって、150年も続いていることに驚きました。
絆を結ぶものは 形ではなく心なのだと思いました。
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by umikongou | 2007-03-22 21:26