本州最南端の島から・・・


海金剛です   
by umikongou
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

カテゴリ:樫野( 15 )


子守唄

この子かよう泣く
ひばりかせみか
せみでごいせん人間の子じゃ こいこい

守はにくいとて
やぶれ傘くれて
可愛いわが子を
ぬらすのか こいこい

守よ守よと
たくさにするな
家(うち)へ帰れば
みな娘 こいこい

樫野に伝わる子守唄です。
まだ 聴いたことがないので 聴いてみたいです。
五木の子守唄のようにもの悲しい旋律だろうか
竹田の子守唄のように哀しいけれどやわらかい音なのか
想像しています。

こいこい・・というところが いいですね。
[PR]

by umikongou | 2007-02-28 23:29 | 樫野

ヤカケント小学校

戦前からずっと樫野小学校の子どもたちは、異国に眠る
トルコの人々の墓地を清掃し続けてきました。
そして 樫野小学校が トルコ国ヤカケント小学校と
姉妹校の縁組を結んだのは、昭和40年のことでした。
当時、外国の小学校と姉妹校の縁組を結んでいる学校は
とても珍しかったのではないかと思います。
因みに その時、樫野小学校を代表してサインをしたのは 
私の連れ合いです。
小学校5年生だった彼は ずっと「ヤシケント」だと
思っていたそうです。

今は トルコとの交流はメルシン市が中心ですが、樫野に
よく似た景色のヤカケントの町が懐かしい気持ちになります。
樫野小学校に子どもたちがいなくなり いつのまにか
途絶えてしまった姉妹校だと思うのですが、いつの日か
ヤカケントの町へ行って ヤカケント小学校を訪ねてみたい
と 思い続けています。
[PR]

by umikongou | 2007-02-26 11:24 | 樫野

池の中の島   

e0110600_1142355.jpge0110600_11132510.jpg














旧樫野小学校の 中庭にある池の中に 小さな大島があると 連れ合いから聞いていた。三年前の夏、朗読劇の会があると聞いて初めて樫野小学校の中に入った。その日は雨で薄暗い中 私は窓に顔を寄せて中庭の池を見た。しかし 池は草で覆われていてなにも見えなかった。廃校になるということは こういうことか、と思った。

連れ合いがまだ小学生だった頃(40年以上前のこと)当時の先生が 
子どもたちが大きくなって島を出て行っても 島のことを忘れないように
・・・と作られたと聞いた。

小さな中庭の小さな池の中の大島と同じ形の小さな島は 
きっと先生の祈りの形だったのだろう。

時が過ぎ 子どもたちが少なくなって学校が統合され、
地域に学校がなくなった。
子どもたちの声や気配のない学校は なんて寂しいことだろう。

写真は 今年の厄払いの餅まきです。
久しぶりに大勢人が集まって 学校は嬉しかったことでしょう。                            
                             by きんかん 
[PR]

by umikongou | 2007-02-24 11:00 | 樫野

伊勢海老丼

e0110600_1055185.jpgもう伊勢海老収穫の季節は終わりましたが、今日は樫野の美味しい伊勢海老丼を紹介させていただきます。
 
樫野漁協直営の食堂で 11月1日から12月末日まで 食べることが出来ます。値段は2000円。ちょっと高いんじゃない!と私も思いましたが 昨年11月に 学生時代の友達が遊びに来たので 思い切って 食べに行ってみました。地元にいると そういう時でないと なかなか行くことがないのです。

伊勢海老丼は 大きな伊勢海老がどーんとのっかっていて豪快でした。
記念写真を撮りました。

美味しくて、目にも楽しく 満足!でした。
今年の秋には 是非 樫野へ伊勢海老を食べにいらしてください。                 byきんかん

ps.夏には あわびも食べられます。またお知らせしますね。
[PR]

by umikongou | 2007-02-22 10:54 | 樫野

追悼歌

e0110600_10513959.jpg

トルコのお墓の前で 子どもの頃に歌った歌を
連れ合いが歌ってくれました。
とても哀しくて美しい歌でした。

樫野の子どもたちが お墓の掃除をしたり 歌を歌ったりしているのを、魂はきっと喜んでいると思います。

私もこの歌を覚えて 一緒に歌いたいと思いました。


         トルコ使節艦エルトグルル号 追悼歌
                         泉 丈吉 作詞
                         打垣内正 作曲
 
             陽は落ちぬ 悲しび深し
               はるけきか 一つ星なる
             海鳴りの いよよ冴えきて
               白塔の ひらめきうつし
             堪えがたく 祈る声とも

       エルトゥールル号遭難のお話(勝手にリンクお許し下さい)
       http://www.locopoint.net/love_peace/ertugrul.html
[PR]

by umikongou | 2007-02-21 11:00 | 樫野

トルコのお墓

e0110600_10461316.jpg

ずっと前のこと、大島にまだ橋が架かっていなくて
樫野小学校が学校として存在していた頃のお話です。

紀伊大島の東端の樫野という小さな集落には 大きなトルコのお墓があります。
「遭難慰霊碑」と呼ばれていますが、当時 地元の子どもたちは
「トルコの墓」と呼んでいました。
その周辺が彼らの遊び場であった訳ですが、
子どもたちはお墓の掃除もしていました。
大切な場所であるので、お墓の敷地内に入る時は
必ず靴を脱いで揃えて置いてから入ったそうです。
子どもたちは 学校がお休みのお盆やお正月の前にも
自分の家のお墓と同じように掃除をしました。
トルコのお墓は 樫野にある大切なお墓でしたから。

これは、樫野生まれで樫野育ちの 私の連れ合いから聞いた話です。
地元の人たちや子どもたちの素朴な思いが 
しみじみと伝わってきて 嬉しくなりました。     
                                        by きんかん
[PR]

by umikongou | 2007-02-20 10:48 | 樫野

日本で一番古い  (仲間のブログから)

生まれ育った島は 近代史で重要な役割を果たしており、我が国で一番古いと
言われているものが 二つある。

一つ目は、洋式石造り灯台として スコットランド人 R.H.ブラントンによって建設され
1870年(明治3年)6月10日に点灯を始めた 樫野埼灯台。

そして二つ目は、更に時代を遡って 1791年(寛政3年)の出来事。 ペリーが浦賀へ
黒船で現れるよりも、62年も前に アメリカの商船レィディ・ワシントン号とグレイス号の
2隻が 大島近海を通りがかり、樫野のマエノ浜へ上陸して 水や薪を求め、村人と
交流したことが アメリカの公文書に記録されている。 
これが史実における 日米最初の接触である。

大島の沖合は 古くから海上交通の要所であり、同時に 航海の難所であった。
外国の船員はこの辺りを Wrecked Coast (遭難海岸)と言って 恐れていたそうだ。

のちに トルコ軍艦エルトゥールル号の悲劇も この樫野埼で起こった。
ここから 日本とトルコの友好の歴史が始まる。

こうして書き出してみると 昔から外の世界へ向かって 開かれていた島だったことが
分かる。灯台ですら、外国船の航海の都合で造られたのだから。

そんな海を 毎日眺めて大きくなった少年は、遙か水平線の向こうに広がる
無限の世界へ 夢を馳せた。

一所不住 http://rurou.exblog.jp/
(写真は日米修好会館です 記事転記時に添付しました)
[PR]

by umikongou | 2007-02-16 09:52 | 樫野

樫野崎灯台

e0110600_9481847.jpg

樫野の住人になったのが20年前
色んな慣習の違いにびっくりしながら今に至っています

今は仕事の関係でチョッと離れた所で暮していますが
樫野は 驚き 発見が一杯で楽しいところです
出来るだけ色んな行事に関わっていきたいと思います
樫野は私の永住の地です

<樫野崎灯台>
樫野崎灯台は 洋式石造り灯台として 
スコットランド生まれのイギリス人
リチャード.ヘンリー.ブラントンによって建設され 
1870年(明治3年)6月10日に点灯を始めた 
日本最古の石造り灯台です

灯台の周りには 水仙の花が甘い香を漂わせています
水仙は 灯台を設計したプラント博士が、故郷を思い持ち込んだと言われています
[PR]

by umikongou | 2007-02-14 09:47 | 樫野

朝日夕日百選(樫野)

e0110600_22311568.jpg

[PR]

by umikongou | 2007-01-17 22:31 | 樫野

海金剛

e0110600_22301875.jpg

[PR]

by umikongou | 2007-01-17 22:30 | 樫野