本州最南端の島から・・・


海金剛です   
by umikongou
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田山 花袋の紀行文

明治の自然主義作家として著名な田山花袋の紀行文の中に
樫野崎に触れたものがあり、「大島村史」(大正6年編)に
収録されているそうです。
花袋は樫野に上陸していませんが、船で勝浦の方から串本へと
向かう時、友人から聞いた話を思い出して書いたそうです。

 船員の語るところによれば「樫野崎の一角・・・、これは
 紀州沿岸百余里の悪難をこれ一つで代表するといってもよい
 くらいの難所で、どんな熟練な船長でも、どんな堅牢な戦艦
 でも、ひとつ間違うとたちまち難航ーそれというのは、この
 一角の海中に突出していること尋常一般ではないことから、
 大洋の風を受くること極めて烈しく、加えて暗礁がほとんど
 海底に満ちているので、それでとに角難破の災に遭うのであ  
 る。だから、紀州の悪難百里といっても、実を記せばその
 樫野崎の一角に集まるのである。」

そして、明治23年9月のトルコ軍艦エルトグロール号の
座礁沈没の話が続いていくのですが、長くなりますので
この辺で。
エルトゥルル号と呼ばれるようになったのは最近のことで
以前は エルトグルルと言っていました。
花袋は「エルトグロール」と書いていました。

花袋に語った人は、実際樫野崎灯台の灯台守であったらしく、
明治の頃の樫野崎の寂しさが、実感をこめて迫ってくる文章
です。これが 何に掲載されたものであるか、註釈がないので
わからないのが残念です。
 
尚、この文章は「樫野小学校創立百周年記念誌 かしの」を
参考にさせていただきました。
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by umikongou | 2007-03-03 21:35
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